【メルマガ第1号】音が立つ

音が立つ

桜井真樹子


 国や政治が人々を守るという以前のお話。狩り、漁獲、作物の収穫を分かち合う人々の共同体があったころ。「ひとそれぞれの役割は、平等の価値があり、ゆえにともに生きる」という思想を築くために祭りがあった。その祭りが行われるために、村の神が降りてきたことをリーダーたち全員がわかる瞬間を体得しなければならない。社(やしろ)の裏の普段は決して入ることのできない「モリ(森)」、樹木で覆われたところにリーダーたちは集まる。輪になって、夜を徹して神の降臨を待つ。木々のざわめき、突然の突風や突然の夜鳴き鳥の声、月の光が木漏れる瞬間や稲妻が光った瞬間、なんでもいい。何かの音、何かの光が神の訪れを告げたと全員が納得する瞬間を待つ。

 それを一人の神子(みこ)に託することもある。

 宗像大社(福岡県)の中にある高宮祭場は8世紀の宗像の国の時代の古代祭場(写真参照)である。長方形の祭場を囲うようにして樹木が立ち並ぶ。中央の石段には一本の樹が立っている。神子(みこ)は、この一本の樹の前に立つ。神子(みこ)の周りの樹木がさざめく。風は周期を持って、しかし少しずつざわめく音を高めながら。あるいは、周期をすこしずつ早めながら、一本の樹に神が降りるのを待つ。

 下関の長府沖(ちょうふおき)から見える満珠(まんじゅ)島と干珠(かんじゅ)島。島自体が神であり、ヒトは一切立ち入ってはいけない。この二つの島を眺められる海辺に立つ。潮はつねに満ちるか引くかであり、決して同じではない。その徐々に満ちてゆく潮のざわめきに島の神の声を聞く。

 樹々や潮のざわめきは自然の呼吸でもある。そこに自分の呼吸を合わせる。神と一体になる原始の神秘体験の方法論がそこにある。

 伝説では、下関の壇ノ浦で、倭国は新羅へ出兵すべきかどうかを神に尋ねた。そのために、武内宿禰(たけしうちのすくね)は、仲哀天皇に琴を「控(ひ)かす(そばに置かせた)」。そして武内宿禰(たけしうちのすくね)は神託を受けた。「西の国には、金銀、輝く、珍しい宝石がある。その国を征服せよ」。しかし、仲哀天皇は、「それは嘘だ」と言って琴を「控(ひ)きたまわず(押しのけた)」。…神の怒りに触れた天皇はそこで亡くなった。(詳しくは日本書記の『神功皇后の新羅征討』参照)

 神の気配を音にしようとする。それは人間の声だったり、琴という弦だったり、あるいは笛だったりする。音響学的に言えば、それらは一次元の振動だ。一次元の響きは音高を発することができる。ヒトが発するものは、一次元とカミがお決めになったのだろうか?

 自分の呼吸を自然の呼吸に合わせるように、わたしの声、わたしの爪弾く音を自然の音に合わせてゆく。するとわたしの音は、自然の中に溶け込んで消えてゆく。

 自然の音が三次元だった場合、ヒトの一次元の音は、どこまで次元を超えて、神のもとへゆくことができるのだろうか?



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