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【メルマガ第8回】声明は何を模倣したのか?(2)

声明は何を模倣したのか?(2)

桜井真樹子


 声明は地声である、と言ったが、地声はなかなか出せないものだ。女性販売員の「いらっしゃいませ」も講義やプレゼンなど人前で話すときも、アピールの「声を作って」いる。声明を教えるようになって、人はまず、自分の声を探すことに多くの時間を割くんだということを感じている。音無しの滝で試すは「地声」とは、前回に述べたとおりだ。

 声明で「ユリ」という最も基本的な旋律型がある。



これは「ドーシドーシドー」と半音下げたり半音上げて戻ったりする旋律だが、じつは半音下げるのがこの旋律の型ではない。半音下げるときに、声を押している。音圧を上げると言ってもよい。音量ではない。音圧を上げた結果が半音下げたように聞こえる。えっ?半音下がってますよね、と言われれば「そう」であるが、半音下げて唱えることが目的ではない。この音圧を上げるというか、声を押す、というのがなかなか出来ない。この「ユリ」を音無しの滝の前でやると、音圧を上げると声が聞こえなくなって滝の音だけになる。つまり「声明の音を無くす滝」。これが本来の「音無しの滝」と言われる所以であろう。この音を押すと音高が下がる「ユリ」は、徐々にできるようになる。次に目指すは「浅折り」という旋律型だ。これは、音高をグリッサンドで上げながら音圧をあげてゆく。言うは易し行うは難し。これを会得するのに何年かかることか。これを音無しの滝の前でやると、声も滝も一瞬消えるような、なんか心地よい体験ができる。これは声明に導入したいなと、良忍が思わないはずがない。これぞ声明の醍醐味である。声明はもちろん円仁が中国から学んで日本に持ち帰ったものだ。しかし、これらの技法は、大原の音無しの滝で出来たかもしれない、と思わずにはいられないほど、ここは楽しいところだ。


 琉球古典曲の中に「十七八節(じゅうしちはちぶし」という曲がある。歌三線の奏者、新垣俊道先生曰く「これは、仏教の曲と言われていて、特別な曲です」。歌詞は、


よすずめのなれば(夕暮れになれば) あいちうらりらん(いてもたってもいられない)

たまくがねちけの(大切な方の使い) にゃちゅらとぅみば(ああ、もう来ると思えば)


「夕暮れどきにニライカナイから大切なお方が迎えに来る」これは「西方浄土の弥陀の国から阿弥陀さまやって来る。ああ、早く私たちを迎えに来てください」と歌う声明と雅楽の曲「極楽声歌(ごくらくしょうか)」の歌詞を知っているものにとって、たしかに仏教と琉球の融合した宗教観を感じさせる。

 新垣先生は、この曲はただ一音を伸ばしているのではない、伸ばしているときに声を押すのだ、とおっしゃる。この声を押すのは十七八節の独特の歌いかた。それは「鐘の音」だという。

 たしかに、海に囲まれた沖縄の人々「ウチナンチュ」は、ピンクノイズには慣れっこになっているだろう。そこに鐘という宗教的な発音体が来て、そこに新たな音の体験があったにちがいない。鐘の音の特徴の一つとして「ゴーウォンウォンウォン…」という音圧が押したり引いたりするのを身体で、皮膚で感じる。この押し引きを声になぞらえた、ということだろう。


            ロッシーさんによる写真ACからの写真

            動画はこちらから ⇒ 延暦寺根本中堂の鐘


 1458年、琉球王国の尚泰久王が、「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」を鋳造させ首里城正殿に縣けられていた。作ったのは築前の鋳物師だそうだ。

 滝の音、鐘の音、人々は、それを声に映していった。宗教的、神秘的体験を求めて、「瑜伽の行」を続ける者たち。果てしのない声の創造の旅。

 スイカの音?を金属の円盤で自由振動させて音を創造するのもそういうことだ。